holly's日記

滋賀県大津市在住 40代ライダー兼ランナーです。

広島湾岸トレイルラン 2024

2024.3.23

広島湾岸トレイルランニングレース
距離 109㎞
獲得標高 6,900m
リザルト 50位
時間 19時間44分
(朝6時スタートでゴールは深夜2時前)

このレースを知ったのは、令和5年10月22日開催の蒜山フォレストレイルの案内。パンフレットに入っていた。チラシだった。

最初見た時は、エントリー費用が38,000円と高額で獲得標高も6900メートルあり、一旦はごみ箱に捨てたのだが、開催日が3月の下旬で休みが取れそうなのと、アクセスが広島市中心部で今までは車で遠征していたのだが、新幹線でアクセスが可能と言うことを知り、1ヵ月悩んだ末にエントリーすることを決めた。

コースはこんな感じ

 

だが、年明け以降思うようにトレーニングができず、日々近づいてくる広島レースに備え獲得標高が非常に気になっていった。最後は順位を気にせず、100キロ超え完走を目的に当日を迎えた。

 

前日の3月22日金曜日昼過ぎに広島に入り、無事に広島ゲートパークにてエントリーを済ませると少しだけ原爆ドーム等を観光。

夕方5時半には広島焼きを食べにホテル近くの店に入った。

案内パンフレットを見ていた僕に従業員のおばさんが非常に興味を示したようで、明日このレースを出るんだと伝えたところ、店長及び従業員さんは非常に応援してくれ、周囲のお客さんも含めて頑張ってねと励ましの言葉を多くいただいた。

 

レース当日出走時間は朝の6時スタートだったので4時に起床。親子丼と蕎麦を食べ、4時45分にタクシーにて現地に入った。あいにくこの日は朝から雨模様でポツポツと降るような感じであり、思っているより寒かった。

75キロ地点で手荷物を受けられるデポバックを預け、自分の手荷物を預けたところで雨が降っていたため、近くの地下街に入りストレッチ等をして準備を整えた。

定刻の6時前になるとエントリーされた方が続々とゲート前に集まり、次第にお祭り騒ぎのようになる。

一気にテンションが高くなり、10秒前から全員でカウントダウンし、定時6時スタートでゲートくぐりスタートした。

さぁ今までの最長の長い旅が始まる!

相変わらず雨は小雨。Tシャツの上にウィンドシェルをはおいスタートしたが、体感的にはちょうど良い。最初の8キロはロード区間で河川敷を登山道に向かう。足は軽く体調はそれほど悪くなかったが、1週間ほど前に次男から移ったであろう。咳が痰を絡んで出るので、それが非常に後半まで気になった。

前半は丹羽さん後ろについて走った。

 

最初の標高350メートル程度の山登りが始まる。走れない事は無いのだが、まだまだ先は長いと思い、登りは歩くことを徹底した。一旦下ると11キロ地点でファーストエイドがある。水だけを補給し、さらに次のエイドへ向かう。次は約600メートルほどの登山道がある。

広島の山は最高標高が950メートル程度と比較的低山が主体であるが、どの山の傾斜がきつく、20%越えの傾斜は普通に多く現れ、その分ぬかるんだ下りでは非常に足元を取られやすく、滑りやすい状態であった。

二ケ城山483メートルに到着。展望もなく、すぐさま次のエイドへ向かう。この日はすべて天気が雨もしくは曇りで、一切の展望は拝めなかったところが非常に残念であった。

第2エイドの21キロに到着。軽く補給済ませすぐ出発した。

上深川の第3エイド28キロ地点に到着。こちらは河川敷にあり、非常に多くのボランティアの方が応援してくれる。雨で天候の悪い中、本当に励ましはありがたく、心から感謝だった。

ここからが最初の難関である。鬼ヶ城登山となる。とてもきつい上りで、2.4キロ600メートル鉄塔が見え、その横を下っていき、ここで白木山と言う今回の最高標高の山に到着する。

ここからの下りはアスファルトを約10キロ程度降る。

このアスファルトの道で足に負担がかかり、46キロ地点のスポーツランド玉田エイドでは1回目の足攣りが懸念され、アイシングをしたところ、逆に体温が下がり低体温に近い状態となった。

この低体温が体調面では1番キツかったかもしれない。

しっかり補給をとり、身体を中から温める。

 

そしてここからさらに第二の急登中倉峠に向け登るのだが、4.8キロで600mを登る。またその登りはすべてアスファルト道。20%の登りが永遠と続く中。中倉峠付近では、残雪が残っており、たまにその雪を集めて足を冷やしてアイシングを実施した。それが非常に効果があった。

そこから下り、第6エイド62キロ地点南原研究所エイドまで下りである。少し汚れてるようなところであり、さらにスリッピーな下りなので、つるつる滑りながらエイドへ向かう。ここでは味噌汁とおにぎりを頂いた。

 

大きなツートップの上りを終えても、さらに登り下りは続く。

福王山の登り、こちらでは鎖場やトラロープがはられ3点支持でしっかり登っていかないといけない。

この辺で考えていたのは75キロ地点のデポバックを預けたエイドまでにいかに頑張れるかと言うところであった。

75キロ地点の午後17時に着く計算で、このレース全体を日が変わるまでにゴールしたいなと言うのが当初の目標であった。

 

第7エイド柳ヶ瀬キャンプ場についた時間は17時30分。

 

こちらで預けていた荷物の中から服靴、靴下等全て着替え、さらに中に入れていた。どん兵衛のうどんをお湯をいただいて補給した。

この辺で左膝に違和感があったので、テーピングで左膝及び右膝こちらでテーピングを実施。これが後々に非常に効果があった。

約20〜 30分の滞在をして、エイド7を出発。着替えたことにより気分はリフレッシュし、ここからまた第二レースが始まるつもりでスタートを実施した。

 

すぐ暗くなり次の登りに差し掛かるとヘッドライトが必要な位暗くなった。阿部山登山口と言うところで、2.3キロで500mを登る 。

80キロ地点からこれでもかと言うほどガレた岩が多くあり、そこを登りさらにロープを伝って、阿部山山頂を目指す。

視界がヘッドライトの明かりのみなので、白テープのリードテープを目印にひたすら登っていく。そこを下り、また一気に折り返し次は檜山へ向かう。

山中は霧が発生し、ライトが反射するため、なかなか周囲が見渡せない。

白テープのみが目印で常リードテープを探しながらの行程になるため、非常に時間がかかった。ここまで来れば後は気合で進んでいくのみである。

権現山を越え82キロ地点の第8エイドに到着時間は21時前であった。ここでおにぎりとお茶をいただいてさらに出発。

ここからは一気に400m上がり、細かいピークを何度も登り返す。足は当然痛いのだが、全く登れないということはなく、逆に静寂な夜のナイトトレランというものがこういうものかと言った雰囲気に包まれ、少しテンションが上がる。

 

今までの順位を気にするではなく、トレラン自体を楽しもうと言う考えと何とか最後まで完走すると言う強い気持ちを持って毎日歩進める。

ようやく最後の登りを越え、最終エイドである竜王公園に到着。

ここからはラスト10キロほぼロードの区間となる。ただ広島の湾岸トレイルは山の中こそしっかりリードを貼られているものの、市街地を走る際は、リードが極端に少なくなり、ここで大きく2〜3キロのロストを行ってしまった。

一旦戻り河川敷を走るのだが、景色は変わらず。単調すぎて残り6キロ地点位で歩き出すと後続のランナーが追いついてきたため、このランナーとともに会話をしながら最終ゴールを目指した。

この方は年齢が49歳で愛媛出身。普段は四国の山を主体として走っておられ四国以外のトレランは初だと言うことだった。

自身が今年45歳だと伝えると脂のってるねと言われた。45歳を迎え身体の節々で不調と格闘している中で意外な言葉だったが、49歳の先輩がまだそう言った言葉を送ってくれるのが、嬉しかった。

人生の先輩からいろいろ教わり、最後まで楽しく走しきれた。

ようやく広島ゲートパークのスタートを切った黒いゲートが見えてくる。

自分の中では順位は気にしてなかったので、その方を先にゴールしていただいた上で、自分は10秒後にゴールゲートを下った。

深夜2時前のゴールは非常に静かで名前を呼ばれるでもなくテープだけ持っておられたおじさんがおられ、主催者の奥宮さんがおめでとうと言い近寄ってこられたので一緒に写真撮影を実施した。

ようやく自分も100キロ級のトレイルランナーになれたということが非常に嬉しかった。

この後は手荷物を受け取り、身体が冷えるので、余韻に浸かる暇もなく、すぐさまタクシーにてホテルへ向かった。

非常にお腹が空いてたので牛丼とうどんを食べ、さらに洗濯等を実施し、眠りについたのは午前4時であった。

完走できるかすらわからない、トレーニングの内容で出走したが、トレラン自体を楽しむと言う本来のトレイルランニングの魅力がわかり、さらに自分の限界まで挑戦すると言ったところで、また新しい自分に出会い、自分の中でもここまでやれるんだと言うのは自信につながった。

年齢は重ねていくけれどもやはり根本の考え方としては動き出さなければ何も変わらないと言う考えだ。

「NO MOVE NO CHANGE」

今回も出走をしていなければこのような自分に出会う事はなかった。

今後も多くのことに挑戦し、結果が伴わなかったとしても、それを目指した心意気とその過程に大事にして、多くのことに挑戦し続けていきたい!