広島湾岸トレイルラン 2024
2024.3.23
広島湾岸トレイルランニングレース
距離 109㎞
獲得標高 6,900m
リザルト 50位
時間 19時間44分
(朝6時スタートでゴールは深夜2時前)
このレースを知ったのは、令和5年10月22日開催の蒜山フォレストレイルの案内。パンフレットに入っていた。チラシだった。
最初見た時は、エントリー費用が38,000円と高額で獲得標高も6900メートルあり、一旦はごみ箱に捨てたのだが、開催日が3月の下旬で休みが取れそうなのと、アクセスが広島市中心部で今までは車で遠征していたのだが、新幹線でアクセスが可能と言うことを知り、1ヵ月悩んだ末にエントリーすることを決めた。
コースはこんな感じ
だが、年明け以降思うようにトレーニングができず、日々近づいてくる広島レースに備え獲得標高が非常に気になっていった。最後は順位を気にせず、100キロ超え完走を目的に当日を迎えた。
前日の3月22日金曜日昼過ぎに広島に入り、無事に広島ゲートパークにてエントリーを済ませると少しだけ原爆ドーム等を観光。
夕方5時半には広島焼きを食べにホテル近くの店に入った。
案内パンフレットを見ていた僕に従業員のおばさんが非常に興味を示したようで、明日このレースを出るんだと伝えたところ、店長及び従業員さんは非常に応援してくれ、周囲のお客さんも含めて頑張ってねと励ましの言葉を多くいただいた。
レース当日出走時間は朝の6時スタートだったので4時に起床。親子丼と蕎麦を食べ、4時45分にタクシーにて現地に入った。あいにくこの日は朝から雨模様でポツポツと降るような感じであり、思っているより寒かった。
75キロ地点で手荷物を受けられるデポバックを預け、自分の手荷物を預けたところで雨が降っていたため、近くの地下街に入りストレッチ等をして準備を整えた。
定刻の6時前になるとエントリーされた方が続々とゲート前に集まり、次第にお祭り騒ぎのようになる。
一気にテンションが高くなり、10秒前から全員でカウントダウンし、定時6時スタートでゲートくぐりスタートした。
さぁ今までの最長の長い旅が始まる!
相変わらず雨は小雨。Tシャツの上にウィンドシェルをはおいスタートしたが、体感的にはちょうど良い。最初の8キロはロード区間で河川敷を登山道に向かう。足は軽く体調はそれほど悪くなかったが、1週間ほど前に次男から移ったであろう。咳が痰を絡んで出るので、それが非常に後半まで気になった。
前半は丹羽さん後ろについて走った。
最初の標高350メートル程度の山登りが始まる。走れない事は無いのだが、まだまだ先は長いと思い、登りは歩くことを徹底した。一旦下ると11キロ地点でファーストエイドがある。水だけを補給し、さらに次のエイドへ向かう。次は約600メートルほどの登山道がある。
広島の山は最高標高が950メートル程度と比較的低山が主体であるが、どの山の傾斜がきつく、20%越えの傾斜は普通に多く現れ、その分ぬかるんだ下りでは非常に足元を取られやすく、滑りやすい状態であった。
二ケ城山483メートルに到着。展望もなく、すぐさま次のエイドへ向かう。この日はすべて天気が雨もしくは曇りで、一切の展望は拝めなかったところが非常に残念であった。
第2エイドの21キロに到着。軽く補給済ませすぐ出発した。
上深川の第3エイド28キロ地点に到着。こちらは河川敷にあり、非常に多くのボランティアの方が応援してくれる。雨で天候の悪い中、本当に励ましはありがたく、心から感謝だった。
ここからが最初の難関である。鬼ヶ城登山となる。とてもきつい上りで、2.4キロ600メートル鉄塔が見え、その横を下っていき、ここで白木山と言う今回の最高標高の山に到着する。
ここからの下りはアスファルトを約10キロ程度降る。
このアスファルトの道で足に負担がかかり、46キロ地点のスポーツランド玉田エイドでは1回目の足攣りが懸念され、アイシングをしたところ、逆に体温が下がり低体温に近い状態となった。
この低体温が体調面では1番キツかったかもしれない。
しっかり補給をとり、身体を中から温める。
そしてここからさらに第二の急登中倉峠に向け登るのだが、4.8キロで600mを登る。またその登りはすべてアスファルト道。20%の登りが永遠と続く中。中倉峠付近では、残雪が残っており、たまにその雪を集めて足を冷やしてアイシングを実施した。それが非常に効果があった。
そこから下り、第6エイド62キロ地点南原研究所エイドまで下りである。少し汚れてるようなところであり、さらにスリッピーな下りなので、つるつる滑りながらエイドへ向かう。ここでは味噌汁とおにぎりを頂いた。
大きなツートップの上りを終えても、さらに登り下りは続く。
福王山の登り、こちらでは鎖場やトラロープがはられ3点支持でしっかり登っていかないといけない。
この辺で考えていたのは75キロ地点のデポバックを預けたエイドまでにいかに頑張れるかと言うところであった。
75キロ地点の午後17時に着く計算で、このレース全体を日が変わるまでにゴールしたいなと言うのが当初の目標であった。
第7エイド柳ヶ瀬キャンプ場についた時間は17時30分。
こちらで預けていた荷物の中から服靴、靴下等全て着替え、さらに中に入れていた。どん兵衛のうどんをお湯をいただいて補給した。
この辺で左膝に違和感があったので、テーピングで左膝及び右膝こちらでテーピングを実施。これが後々に非常に効果があった。
約20〜 30分の滞在をして、エイド7を出発。着替えたことにより気分はリフレッシュし、ここからまた第二レースが始まるつもりでスタートを実施した。
すぐ暗くなり次の登りに差し掛かるとヘッドライトが必要な位暗くなった。阿部山登山口と言うところで、2.3キロで500mを登る 。
80キロ地点からこれでもかと言うほどガレた岩が多くあり、そこを登りさらにロープを伝って、阿部山山頂を目指す。
視界がヘッドライトの明かりのみなので、白テープのリードテープを目印にひたすら登っていく。そこを下り、また一気に折り返し次は檜山へ向かう。
山中は霧が発生し、ライトが反射するため、なかなか周囲が見渡せない。
白テープのみが目印で常リードテープを探しながらの行程になるため、非常に時間がかかった。ここまで来れば後は気合で進んでいくのみである。
権現山を越え82キロ地点の第8エイドに到着時間は21時前であった。ここでおにぎりとお茶をいただいてさらに出発。
ここからは一気に400m上がり、細かいピークを何度も登り返す。足は当然痛いのだが、全く登れないということはなく、逆に静寂な夜のナイトトレランというものがこういうものかと言った雰囲気に包まれ、少しテンションが上がる。
今までの順位を気にするではなく、トレラン自体を楽しもうと言う考えと何とか最後まで完走すると言う強い気持ちを持って毎日歩進める。
ようやく最後の登りを越え、最終エイドである竜王公園に到着。
ここからはラスト10キロほぼロードの区間となる。ただ広島の湾岸トレイルは山の中こそしっかりリードを貼られているものの、市街地を走る際は、リードが極端に少なくなり、ここで大きく2〜3キロのロストを行ってしまった。
一旦戻り河川敷を走るのだが、景色は変わらず。単調すぎて残り6キロ地点位で歩き出すと後続のランナーが追いついてきたため、このランナーとともに会話をしながら最終ゴールを目指した。
この方は年齢が49歳で愛媛出身。普段は四国の山を主体として走っておられ四国以外のトレランは初だと言うことだった。
自身が今年45歳だと伝えると脂のってるねと言われた。45歳を迎え身体の節々で不調と格闘している中で意外な言葉だったが、49歳の先輩がまだそう言った言葉を送ってくれるのが、嬉しかった。
人生の先輩からいろいろ教わり、最後まで楽しく走しきれた。
ようやく広島ゲートパークのスタートを切った黒いゲートが見えてくる。
自分の中では順位は気にしてなかったので、その方を先にゴールしていただいた上で、自分は10秒後にゴールゲートを下った。
深夜2時前のゴールは非常に静かで名前を呼ばれるでもなくテープだけ持っておられたおじさんがおられ、主催者の奥宮さんがおめでとうと言い近寄ってこられたので一緒に写真撮影を実施した。
ようやく自分も100キロ級のトレイルランナーになれたということが非常に嬉しかった。
この後は手荷物を受け取り、身体が冷えるので、余韻に浸かる暇もなく、すぐさまタクシーにてホテルへ向かった。
非常にお腹が空いてたので牛丼とうどんを食べ、さらに洗濯等を実施し、眠りについたのは午前4時であった。
完走できるかすらわからない、トレーニングの内容で出走したが、トレラン自体を楽しむと言う本来のトレイルランニングの魅力がわかり、さらに自分の限界まで挑戦すると言ったところで、また新しい自分に出会い、自分の中でもここまでやれるんだと言うのは自信につながった。
年齢は重ねていくけれどもやはり根本の考え方としては動き出さなければ何も変わらないと言う考えだ。
「NO MOVE NO CHANGE」
今回も出走をしていなければこのような自分に出会う事はなかった。
今後も多くのことに挑戦し、結果が伴わなかったとしても、それを目指した心意気とその過程に大事にして、多くのことに挑戦し続けていきたい!
美ケ原トレイルラン2022
美ケ原トレイルラン
2022.7.2
距離 85㎞
累積標高 4,200m
順位 9位/350人
時間 12時間32分
天気 快晴→曇り→雷雨
学生時代に日本アルプスや北海道の山々を登り、人生で必ずいつかは行きたいと思っていた美ケ原。
そこでトレイルランが開催されると知り、楽しみで仕方なかった。
HPや動画では一本に延びる稜線の登山道が美しい。
距離は85㎞と今までの比叡山トレイランの50㎞が最長で新しい挑戦。
【前日】
仕事の終わった午前9時に職場からそのまま車で移動。
距離は420㎞で所要時間は約5時間。
単独で運転はなかなかきつく、仕事の疲れもあり、要所要所SAで休憩をとり、14時50分にスタート地点のブランシュたかやまスキーリゾートに到着。
前日受付の開始10分前で無事に受付、ココヘリの受け取りを完了。
ココヘリとはもしも動けなくなった場合にGPSからヘリの要請を出来るといったもので1日レンタルを申請しておいた。
これは85㎞の出走者は必須装備だった。
ここから本日の宿の松本まで1時間ちょい。
17時前には宿に宿泊。
宿泊といっても翌日レーススタートが4時なので宿の出発は深夜1時半。
20時過ぎには床についたが興奮でなかなか寝れなかった。
【当日】
予定通り深夜1時に起床。
シャワーを浴び、ドリンクを補給し、1時半には宿を出発。
すべて予定通り。
車内の移動時におにぎりを三個ほおばる。
会場には3時前には到着。
到着前のスキー場の坂では若干渋滞が発生し、「深夜3時にこんな場所で渋滞が起こるのは1年でも今日ぐらいだろう」とちょっと笑った。
3時半には準備完了。
開会式が始まる。
どの方も「熱中症」の危険と対応を話される。
予定ではこの日気温は35度近くになり、この時期はない暑さとのこと。
特に50㎞から始まる10㎞の林道は「死のロード」だと開催者が話される。
実際、長く延々と続く林道はその通りだった。
カウントダウンが始まる。
前列からゲートをくぐり、いよいよ85㎞の長い旅が始まる。
最初の3㎞はスキー場を上がっていく。
斜度はきつく、たまに歩くがシングルトラックが始まって渋滞になるのが嫌で15番手ぐらいを位置する。
3㎞だが獲得は一気に500m登る。
ヘッドライトの灯りを頼りに走り、途中後ろを振り返ると蛍の光のようで美しかった。
登りきると今度はまた一気に下る。
徐々に明るくなり、気温も20度ほどで涼しく最高に気持ちよかった。
今度は殿城山の登り。
約300m上がる。足の合う人と登る。
まだまだ序盤でどこから来たのかとか何回目の出走なのかといった具合に話がすすむ。
殿城山を登ると一気に視界が広がる。
壮大な大地が広がり、360度の大パノラマ。
これこれ!
これを感じに来たんだと感無量の最高の気分になる。
気温は徐々に高くなってくる。それとともにドリンクの消費も激しくなる。
1STエイドの和田峠は23㎞地点。
5人パックの少数団で向かう。
何度かアップダウンを繰り返し、和田峠AIDへ。
しっかり水分を補給し、ここから三峰山の登りへ。
3㎞で400mほど登る。
時刻は7時半で気温はすでに30度近くある。
下ると車道に出て、しばらくはアスファルト道を走る。
28㎞地点の扉峠ウォーターステーションへ。
文字通り水分のみの補給が可能。
ここから一気に500mほど高度を稼ぐ。
とても走れるような斜度ではない。
しかし、ここを登ると茶臼山を始め、美ケ原の核心部に入る。
展望最高なのは知っており、展望を楽しみに登り続ける。
8時30分 茶臼山に到着。
開始から4時間半で距離は30㎞ちょい。
ここからがやはり素晴らしかった。
熊笹の中に一本延びる稜線の登山道。
周りはアルプスの大展望。
下を見て走るのはもったいないと浮石にだけ注意して景色を堪能して走る。
おまけにほぼフラットの登山道で走りきれる。
美ケ原最高峰の王ケ頭を越えると美ケ原の看板。
本当に景色が良く、言葉が出ない。
コース横には牛たちの姿が。
いつか必ず家族で来たい場所だな思った。
ドライブウェイがあり、車でも容易に来れるらしい。
38㎞地点。
2回目のエイド、山本小屋エイドへ。
すごく腹が減っており、ピーナッツパンを4個ほど食べる。
しっかり食べて置かないとガス欠になるのは分かっている。
今回補給食はジェルが中心で固形物はほぼ持ってきていなかった。
さらにバナナを頬張り、エイドを出発。
40㎞地点は一転して下り。
10㎞で約1,000m下る。
かなり斜度がきつい場所があり、落石と転倒に注意しながら進む。
林道に入り、気温もかなり上がってきた。
身体を冷やそうと林道横の沢でアイシングをする。
脚をしっかり冷やそうと靴を脱ぎ、しっかり冷やす。
これが効いた。
頭もそのまま沢につけると水の冷たさもありシャキッとする。
痙攣しそうだった脚も一気に回復した。
残り3㎞ほどだった林道も難なく下り、50㎞地点の第3エイドの和田宿へ。
ミドルの50㎞のレースはここがゴールになるらしく、ゲートも準備してあった。
ここでもバナナを中心にしっかり補給をして後半戦へ。
少しパンチの効いた水沢峠を越えるといよいよ死のロードと言われた10㎞続く林道が始まる。
高度も700mほど登る。
当初アイシングの効果で5~6㎞ほど走るが、展望は全くなく、ただただ林道の登りが続くだけで、またそれが長い。
残り4㎞ほど残し歩きだす。斜度は緩く、走れない斜度では分かっているが、走っても200mほどで歩きたくなる。
いったいいつまで続くのかとこの林道には本当にメンタルがやられた。
落ちているちょうどいい長さの枝をストック代わりにして少しでも脚の負担を軽減する。使えるものは現地調達し、何でも使う。
沢を見つけると脚や頭を冷やし、疲労と意識の回復につなげる。
登りきる直前にボランティアスタッフの方が一名励ましてくれ、ここで林道は終わりだと伝えてくれる。
本当にありがたかった。
ここでこの方に初めて前には何名のランナーがいるのか尋ねると、9番目か10番目だと伝えてもらえた。
少しビックリした。
熱中症にならないように細心の注意をして、沢ではアイシングを続け、エイドでも他のランナーより多く休憩し、まさか自分がトップ10にいるとは思っていなかった。
ここで意識が大きく変わる。
完走を求めたレースからリザルトを求めたレースに変わる。
残りは25㎞。
死のロードも終わり、ここからは気持ちのみで走りきれる。
前を追う。
65㎞地点。
長門牧場のエイド。
食欲があり、出してもらえたものはすべて美味しかった。
ファンタグレープのフルーツポンチ、素麵を入れた冷製みそ汁、飲むヨーグルト。
今までだったらもっと長い時間エイドにいた場所だったが、前を追いたい気持ちから補給をしてすぐに出発した。
ここらからフィジカルではなく、得意のメンタル。
アップダウンはあるものの走れる斜度の登山道。
一つでも前の順位へ。
ただそううまくいかないのがレース。
一番警戒していたコースのロストを70㎞地点でしてしまう。
コースにはリードテープが張られたり、垂れ下がっているが、沢を横断するべきところをしばらく沢を下ってしまった。
時間にして約5分ほどで正規ルートに戻ったが、この地点でのコースロストは体力的にはもちろんだが、メンタル的に大きく影響した。
せっかく前を追おうと走れる区間はすべて走り、ちょっとづつでも前に近づいていると思っていたが、台無しの気がした。
後続も気になった。ギリギリトップ10にいるのに抜かれてしまうとその位置も失ってしまう。
74㎞地点の最終エイドの大門峠手前の直登もロープを手にして必死に登り、最終エイドへ。
9番目だと伝えてもらう。
残りは11㎞。
水のみを補給してすぐに行こうとしたが、男性のスタッフの方から思いがけない言葉を投げかけられる。
「最後までもう少し、最後まで楽しんで!!」
ハッとした。
「楽しんで・・・??」
そうだったいつの間にかレース自体を楽しんでなかった自分がいた。
11時間近く走り続け、人生最長のランで苦しい、痛いが先にきて、当初スタートゲートをくぐった時に「楽しむぞー」と思った初心を忘れていた。
男性スタッフの方に
「そうですよね、最後まで楽しませてもらいます。」と伝え、最終エイドを後にした。
雷が鳴り、雨が降ってきた。
それでもこの瞬間を大事に最後まで楽しもうと思った。
気持ちが楽になった。
最後の登り、大笹峰。
スタートした時と逆で反対側にあるエコーバレースキー場を登り、頂上からは下りゴールになる。
雨が強くなるなか、単独で山頂を目指す。
よくもまぁ42歳になって初めて12時間も走るようになったなぁと初めて出会える自分に感動し、大笹峰のレース最後の山頂へ。
ここからは朝4時に登ったルートを下る。
あの時はヘッドライトの灯りが頼りだったので、こんな景色だったのかと12時間を過ぎてようやく知る。
ゴールゲートが近づく。
アナウンスが聞こえる。
12時間32分、長い旅だった。
人生最長ランだった。
笑顔でゲートをくぐる。
すぐに家族に電話をし、無事に怪我なく終えたことを伝える。
今回は単独での行程で妻には子供たちの世話をまかせて出発した。
なかなか出来るものではない。
本当にありがたい環境だな思う。
今回も長い旅で自分の向き合えて、まだ知ることのなかった自分に出会えた。
どれだけ歳をとろうともこういった感情が生まれるのは素敵なことだなと思う。
そして、こういった感情浸れる今の環境に本当に感謝したい。
比叡山 International Trail Run 2022
比叡山 International Trail Run 2022
2022.5.21
距離 50㎞
累積標高 3,700m
順位 5位/564人
時間 6時間42分17秒
天気 曇り
過去最高に家から近く地元の比叡山でのレース
普段のトレーニング場所になっており、コースもほぼ走ったことのあるフィールドでのレース。
7時40分のケーブルに乗り、会場には8時前には到着
レーススタートは50キロ、第1ウェーブの9時スタート
30分前から念入りにストレッチ等して身体をほぐす。
10分前には50mileの選手が先行してスタート。
50mileは世界選手権の選考レースで強豪の方ばかりが出走される。
職場の先輩の西村さんが優勝候補で結果、その後ダントツで優勝される。
(本当に凄すぎる、仕事の帰りに一緒に走って帰らせてもらっているが、レベルが違いすぎる)
お祭りのような盛り上がりの中、定時の9時に50㎞がスタート。
最初の1キロは主催者でトレイルランニングパイオニアの鏑木さんがコントロールでスタート!
最初の2キロ程度は登りで大比叡を経由してそこから約7キロの下りになる。
スタートは50番目ぐらいだったのですぐに上がっていく。
下りはシングルトラックで後ろにいると自分のペースで下れないのはわかっているので、大比叡の手前で4番手まで順位を上げる。
すぐに下りになり、自分のペースで下る。
意識するのはなるべく脚に負担のかけないような優しい下り。
右足の踵が弱いのか、二日前の下りで右足をグネリ、軽い捻挫状態であったため、とりあえず負担がないように下る。
先行される方はすぐにコースをゆずり、約5キロ地点の水飲対陣碑まで。
本当に良く知っているコースでレイアウトに全く心配はない。
また、分岐はすべてスタッフの方やボランティアの方がおられ、応援とアテンドをしてくれる。
本当にありがたい。
7キロの下りを終え、ここからはロテルド比叡までの3キロの長い登りになる。
1週間前に西村さんに連れて行ってもらい、ここの攻略法を教えてもらった。
中盤まであがると先に出発した50mileの選手たちを抜きにかかる。
走れる区間は積極的に走る。
順位は気になるが、オーバーペースにならないように気を配る。
比叡山ドライブウェイまで上がりロテルド比叡まで来ると10キロ地点最初の第1エイドがある。ここで休憩はしないが、沿道の応援が凄く、ここの応援は本当に感動した。
ここからは気持ちの良いトラックを走り、無動寺の下り。
この道は何回走ったか分からないほど良く走っている。
16キロ地点、下りきったところで姉と姪、そして長男が応援に待っていてくれた。
長男には10時から10時半の間に来るわと言っていたが、まさか姉と姪っこが来てくれるとは、、、
本当に嬉しかった。しかも約束の時間を15分ほど過ぎて10時45分ぐらいだった。
身内の応援は本当に励ましになり、気持ちを切り替えられた。
順位も4位だと伝えてもらう。
全員にグータッチをして気合を入魂してもらい再スタート!!
気持ちを新たにここから4キロのもたて山の登り入る。
ここも無理はせず、走れる区間を積極的に走り、登りきる。
ちょうどボトルの水を失った地点で第2エイドの延暦寺会館に入る。
比叡山トレイルは今まで出たトレランレースの中で最もエイドステーションが充実していた。
コーラを飲み、スポドリを補給し、バナナを食べ、頭から水を浴び、スタート地点を再スタートする。
この20キロ地点は最初のスタート地点でここから後半戦がスタートする。
ここからの良く知っているルートでとりあえず、24キロ地点から始まる横高山の登りが最大の勝負だなと考える。
気持ちを良いトラックを走り、青龍寺の下りへ。
足場がガレているので右足をグネらいように慎重に丁寧に下る。
ちなみに練習で西村さんと走る時に下りのスピード差に愕然とする。あのスピードは一生かかっても辿り着けない。一瞬で視界から消える。
下り返し、ここからが最大の勝負所の横高山まで登り。
ここでちょうど25キロ地点で約半分の地点。
ここがやはり苦しかった。走ることはとても出来ず、歩くスピードも他の選手より遅くなる。ジェルや固形物を取り、出せる最大のスピードで歩き、なんとか横高山直下のエイドへ。
やはり、スピードが遅くなり、50キロの部の選手5名ほどに抜かれる。
このエイドで応援に来られていた鏑木さんからも自分の顔を見て「大丈夫ですか?」と心配される。
5分ほどエイドで補給し、横高山最後の登りに入る。
個人的にレース前に50キロはこの横高山と水井山の登りが最もキツいだろうなと思っていた。逆にここさえ攻略できれば、後は大きな走れない登りはほぼないとも思っていた。
水井山を越え、下りと林道、緩やかな登りをプッシュして走る。
すぐに大尾山を越え、気持ちの良い奥比叡の区間を過ぎていく。
パラグライダー給水所で水のみ補給し、林道へ。
しばらくやや下りの林道だったが、33キロ地点から始まる登り基調の林道へ。
この林道がキツかった。走れる斜度ではあるが、脚がついてこない。歩きと走りを半々ぐらいで約3キロ走り、第4エイドへ。
この仰木エイドステーションではおばちゃんが作ってくれたであろうおにぎりとみそ汁を頂く。おばちゃんからの熱い応援も受け取る。
ここまで来れば皆キツいのであろう、50mileの選手も脚が攣り動けなくなっている。
林道を下り、仰木へ。折り返しポイントへ向かう。
折り返しポイントに向かうまでには先行した選手とすれ違うため、同じ色のゼッケンの選手を確認出来る。
片道約2キロ(往復4キロ)に渡るすれ違い区間で同じ50キロの選手が前に約4名いることが分かる。
同じように折り返してからは後続に4名ほどが追ってくるのがわかる。
折り返してからは残り10キロ。
ようやくカウントダウンに入る。
アスファルト道はすべて走り、すれ違う選手にお互いに声を掛け合い励まし合う。
良い区間だなと思った。
アスファルト道から林道に入り、前には50mileの女子トップの選手がずっと走られる。女性で相当メンタルが強い選手なんだろうな、後ろから走りを見て分かる。
50mileは当然自分がゴールしてからも後30キロ走ることになる。
それも女性でこのタイムは本当に頭が下がる。
横川直下の階段の登りでその女性選手をパスし、最後のエイドへ。
入ると同時に出ていく同じ50キロの選手がいる。
この選手は抜きたい。
横川からは約3キロの下りの林道がある。
この林道も良く知っており、スピードが出せやすい。
飲料水だけ補給し、すぐに林道に入る。
ここでほぼ全てを出し切る。
約1キロ走った地点で先ほどの同じカテゴリーの選手を抜き去る。
さらに1キロ走ると横高山の登りで圧倒的な登りのスピード差で抜かれた選手が見えてくる。
得意の林道区間は後500mほどしかない。
必死で差を埋め、最後の2キロの登りへ。
もう体力は残っておらず、メンタルだけでここまで来た。
歩き登るが、スピードをあげると脚が痙攣し、全く動けなくなる。
もうすでに何回か足が攣っている。
出せる最大限のスピードで登るが、前の同カテゴリーの選手とは逆に差が開く。
前の選手も自分のことに気づき、スピードを上げているようだった。
するとゴールまで1キロを切った最後の登りで「ウォー」と声を上げ、同カテゴリーの前の選手が立ち止まって脚を押さえている。
横から抜き去る時に聞くと脚の攣りがひどく全く動けなくなったとのこと。
こっちもギリギリで最後は脚攣りだけ気をつけて、選手をパスする。
残り300m、ここぞとばかりに急傾斜の登りになる。
この登りも知っている。
出せる力を出し、延暦寺会館からは走りきりゴールへ!
ゴールのゲートをくぐると同時にアナウンスで「50キロ部門第5位 堀井 長善!」
と言ってもらえる。
嬉しかった。
ゴール後、鏑木さんからは「横高山直下のエイドでは疲労困憊だったのにあこから上げたのは本当に凄いね!」と言ってもらえて嬉しかった。
表彰式はなかったが、トレランレースで初めて賞品を頂き、そのまま帰路へ。
余談だが、このあと職場ではコロナ関係で2名と家族の出産で1名の欠員が急遽出て、レース終了後、2時間後には職場に出勤し、翌朝まで勤務。
昼間の間だけでも有給を頂き、良い経験をさせてもらってありがたかった。
今回50キロの部門は有力選手が50mileに出走された関係で、シングル結果の5位になれましたが、まだまだ走り方も含め、伸びしろがあると思っています。
今後、85キロ、そして100キロトレランと経験値を増やし、勝負出来るランナーを目指していきたいと思います。
今回、スタッフの方やボランティアの方の応援やエイドの手厚さでほんと救われました。ありがとうございました!
また、ロードレースもそうだったが、日頃から好きなことを優先してやらせてもらっている家庭環境にほんと感謝したいと思います。
なにわ淀川マラソン 人生初のフルマラソン
2022.3.27
なにわ淀川マラソン
天気 晴れ
初のフルマラソン 42.195㎞
タイム 2時間59分44秒
トレランでは40㎞のレースは走ったことがあるが、フルマラソンでの実力を知りたくて、半年前から準備をしていた。
やるからには「初マラソンでサブスリー」を自分の中での目標にして10月頃から走り込みを開始した。
当初は1キロ4分30秒のペースで20㎞も走ると脚が重たくなり、試行錯誤でフォームを考え、とりあえず月に300㎞ほどは走ろうとランに特化したトレーニングを開始した。
住まいの滋賀県大津市は湖岸が整備されて浜大津からのなぎさ公園はほんと走りやすく、景色も綺麗でいつも近江大橋往復の20㎞走か、石山寺まで行く30㎞走を飽きることなくラントレした。
するとやはり慣れてくるのか4分30秒のペースは維持出来る様になった。
ただ、フルマラソンサブスリーペースの4分15秒のペースの壁は高く、ハーフマラソンの21㎞までは維持できてもそこからは急にストンとペースが落ちた。
10月、11月は月に250㎞〜300㎞ぐらいの走り込みを実施し、12月に秘密兵器を購入した。
NIKE ヴィパーフライ
大学で女子駅伝を走っていた後輩に聞き、おすすめランニングシューズがヴィパーフライだった。
迷うことなくシューズを購入し、1月中旬に一度試走でフルマラソンを単独で走ってみることにした。
琵琶湖南湖一周のフルマラソン、結果はやはりシューズの影響が大きく、3時間9分で走れた。
サブスリーが現実味を帯びたが、30㎞からの失速が凄く、キロ5分台になることにもなった。
やはり30㎞からが課題だなと思い、そこからロング走を取り入れたが、2月中旬に左脚股関節を痛めた。
これは痛く、普通に少し走ることも出来なくなり、整体等に通い、とりあえずラントレは一旦中断して治療に入った。
焦ったが、どうしようもないのでむしろ開き直って休養した。
しかし、股関節に違和感を感じながら3月上旬の六甲縦走トレイルランに出走してみるとまさか自己PRを更新して、5位入賞できた。
しっかり休養できたのと10月から走り込んできた成果は出てるなと思えた。
ここまでがなにわ淀川マラソンに出るまでの流れ。
当日
摂津富田の人身事故の影響で2時間前には着く予定が1時間前に現地に着いた。
すぐに準備してとっくんや職場の先輩と談笑しているとすぐに出走時間になった。
作戦はサブスリーのペーサーについていけるとこまでついていき、後はひたすら耐える走りをすること。
他は気温が高いので給水をしっかり摂ること。
(給水はすべての箇所でとった)
コースレイアウトは片道10㎞のコースを4回折り返す河川敷のコースで、フラットなコース。
10時15分に第1ウェーブの選手がスタート、その10分後に第2ウェーブの選手たちがスタートだった。
風がきついが、集団内で走ることで風の抵抗を減らして極力体力温存し、序盤は丁寧に確実に歩を進ませる。
たまに不整地を走る際に前日の雨でぬかるんでいるとこに注意するのみ。
8㎞を越えた地点で「ホリィさーん!!頑張ってー!」と。
びっくりして左手を見るとシクロクロスで大変お世話になった野口さん夫妻が。
前日にLINEで励ましのメッセージを頂いたが、まさか現地で応援していただけるとは思ってもいなかった。
わざわざ伏見からシクロクロス車の自走で応援にきてくれた。
その後、要所要所で応援していただき、ほんとこの応援がなければサブスリーの結果はなかった。
20㎞までは問題はないが、給水をとるのに縦一列になり、給水してから前と差が離れるので、その度にペースを上げるのがつらかった。
やはり初マラソンで給水が初めてなので、経験の差が如実にでた。
気温が上がり、他の選手は脱水や脚の痙攣でリタイヤし、30㎞地点でペーサーについていけているのは7名ほどだった。
32㎞からキロ4分10秒のペースが維持出来なくなる。
気持ちはついていかなくてはならないと分かっているのだが、脚が重たく思うように前に進んでくれない。
ペーサーの集団から離れ出す。
ただ視界にはいれておく。
しんどいところで野口夫妻が応援とジェルを手渡ししてくれ、切れそうな心をなんとか繋げる。
35㎞地点、必死に腕を振るが脚が前についてこない。
ここで心が折れ、このマラソンで1番ペースが遅く1㎞4分55秒まで落ちる。
37㎞地点、ペーサーの集団はもう見えない。
サブスリーの挑戦もここまでかとふと腕時計をみると2時間37分が経過。
残り約5㎞で23分。
サブスリーいけるのではないか、、、、
周りを見ると、息が上がって苦しそうだが、諦めずペースを上げる人が多い。
自分の中ではサブスリーのペーサーについていかないとサブスリー達成は出来ないと思っていた。
闘争心に一気に火が入る。
しんどいのは皆同じ、ここで頑張れず、結果三時間チョットでしたと言うのと、サブスリー達成しましたというのでは「天と地」ほど違うし、何より諦めた自分をその後絶対に後悔する。
東京オリンピックマラソン日本代表の大迫選手の「マラソンは4割がメンタル、6割がフィジカル」と言っていたことを思い出す。
自分に負けないメンタルならずっと鍛えてきた。
最後まで全力で。
38㎞から必死でペースを4分30秒まで戻す。
抜かれてはその選手の背後に食らいつく。
39㎞地点、ペースを考えて残りは15分以内。手持ち時計は2時間45分。
いける、いける。
40㎞地点フォームなど関係なく、とにかく手を振り、脚を前に進ませる。
41㎞地点、前方に会場が見えてきて、沿道の応援が聞こえてくる。
2時間55分が経過。
もう前しか見ない。
最後の直線はない脚で全力疾走をしてゴールラインへ。
手持ちの時計は2時間59分45秒だった。
嬉しいが、まだ正式タイムではなかったのでとりあえず大丈夫だろうと。
野口夫妻がすぐに寄ってきてくれ、サポートしてくれ。
3人で完走証の受け取りへ。
合格発表みたいにドキドキした。
ゼッケン番号を伝えると「2時間59分44秒」と書かれた完走証とサブスリーを達成した人がもらえるTシャツをもらえた。
野口夫妻のもとに戻ると自分のことのように喜んでくれた。
ほんと幸せな時間だった。
とっくん達も寄ってきてくれ、「おめでとうございます。」や写真撮影をしたり、ほんとこの瞬間が大好きだなとつくづく思った。
35㎞地点で一旦心が折れたが、最後まで諦めなかった自分に出会えて良かった。
また、こういった思いが出来るようにまだやれてないことに挑戦していきたい。
関西シクロクロス 第9戦 希望ヶ丘 C4B
ようやく出走できた関西シクロクロス
シクロクロス準備編
今シーズンのロード戦 ニセコや沖縄といった目標レースが中止になり、レースに出れない日々が続き、モチベーション維持が難しく、関西シクロクロスのHPを確認するとコロナ感染対策を実施し、レースを開催するとの情報を入手。
上記、ニセコや沖縄への遠征費用をシクロクロス車購入に充てたい旨を妻に相談し、10月頃からシクロクロス車を調べ始める。
和歌山、富田林の第1戦、第2戦は見送り、11月8日第3戦の烏丸半島の開催から参加出来ないか調整する。
同時に10歳の長男のシクロクロス車も購入を考え、親子で参戦したいと考える。
と長男のシクロクロス車は無事にコスパ最強のジャイアント紫明店で見つかり、無事に烏丸半島の第3戦に間に合った。
ただ私のシクロクロス車がなかなか希望に沿った車体が見つからない。
まぁ車もそうだが、新しいおもちゃ購入時にあれにしようか、これにしようか、考えている時間が楽しかったこともあるのだが、、、
思い返せば、ロードシーズンの春先当たりから探し出し、10月完成辺りを目指すべきであった。
結果11月下旬になっても希望の合う価格や車種が見つからず、早くレースには出たいが肝心の車体が決まらない状態が続いた。
もうオークションでもいいかと某オークションを検索すると手ごろな価格で状態の良さそうな車体が見つかり、この程度の金額ならと入札をかけてみると落札した。
手元に届いたのは12月初めでこれでようやく第5戦 マイアミ浜のレースに間に合うなと安堵し、レース3日前にマイアミ浜で練習に向かった。
到着し、15分程して最初に出てくるキャンバーを下った際に「バキッ」とドでかい音し、サドルに腰を降ろすと「プラーン」とサドルが曲がった。
すぐにやってしまったと悟り、降車し確認するとシートチューブが完全に折れていた。
「あぁシクロクロスシーズンでさえ、終わってしまった」と失意の中帰宅し、妻に状況を報告。案の定「某オークションで自転車購入するからやわ」と手厳しいお言葉を頂き、「怪我なくて良かったね」とやさしい言葉も同時にかけてくれる。
ここからだめもとで他車両の検索を始めると「ブリジストンのCX6」のフレームがフレームセットで120,000円なのを知り、これならパーツ移植で対応が可能ではないかと知る。
しかも知人の知り合いのショップがブリヂストン推しで移植や足りない部品は集めてくれた。12月初旬で完成を聞くと2月上旬との回答であったが、レースの件を伝えるとかなり迅速に対応していただき、年末年始に入るにも関わらず、1月9日に仕上げてくれた。ほんと感謝。
そのまま、車に乗せ、翌日開催の希望ヶ丘シクロクロスの試走に長男と向かう。
ここで初めてシクロクロスの練習を実施(笑)
希望ヶ丘のコースは2か所の登りがあり、その他は林間のダウンヒルや少しタイトなカーブのあるコース。
最初の登りが一番重要だなと考え、スタートダッシュをイメージして試走は終了。
シクロクロス レース編
会場には8時30分に到着
レースは10時10分から
会場には知り合いが多数いてレースが始まる前からほんと楽しい。
C4Bは出走が38名。
自分は36番なので後方スタート。
笛の音のみに集中して、開始と同時にアタックをかける。
平坦では5名ほどしか抜けなかったが、最重要だと思っていた最初の登りで一気に仕掛ける。
ごぼう抜きして最初のピークではすでに2位、さらにフラット部でダンシングし、ダウンヒルに入る前にトップに入りたがったが、そこは蓋をされ2位でダウンヒル開始。
ダウンヒル直後のカーブは当然乗車してやれるカーブでないので降車し、かつぎ、乗車。その動きがスムーズにいかない。
当然前との距離は離れ、後ろとはちじまる。
2回目の登り
登りで追いつくがコーナーで差が開く。
いつの間にか1位の選手は見えなくなり、3位の選手としばらく2位争いをする。
このあたりがロードレースと違う。常に前に前にを伺い、隙あれば2位が前後する。
走りながらコーナー、ダウンヒル、キャンバーの超え方等すべてにおいてまだまだという思いで走る。
納得いくのは最初の登坂のみ。
そこで差がつくと思い、そこのみ全力で攻める。
3周目に入り、前は見えないが、3位の選手も離れていくのが見える。
ここからは、致命的な落車はさけ、丁寧に展開してくことを意識する。
応援が近く、普段のロードレースより長男の姿や応援が聞こえる。
ベルが鳴り、最終周。
やはり攻めれる箇所は登りのみ。
さすがに疲れてくる。
その後は、丁寧に落車しないように呼吸を整えながら走る。
最終のダウンヒルも丁寧にこなし、頭を下げてゴールへ。
2位で完走。
優勝は出来なかったが、せめて一発昇格を狙っていたので2位でフィニッシュ出来て良かった。
こんな時期にも関わらずレースを開催してもらえた関西シクロクロス主催者に感謝したい。
非常に楽しく、自分の未熟さを知ると同時に、伸びしろが多くあり、まだまだ成長できる種目だと感じ、今後のシーズンが非常に楽しみになった。
今回レース会場では多くの知り合いの方に出会えました。また、会場でお会いできればよろしくお願いいたします。
仰木棚田トレイル
令和2年11月15日 日曜日
天気 快晴(秋晴れ)
距離 28.25㎞ 獲得標高 1,324m
タイム 3時間6分42秒
リザルト 12位/200人
快晴の秋晴れの中、仰木会館からスタート
アクセスは仰木小学校までと車で10分と未だかつてないくらいアクセスが良い
自宅を9時に出発
時間通り9時10分に到着
受付に行こうとするとエントリーしていた後輩と会い仲良く2人で受付終了
スタートは10時10分スタートなので準備等して時間を潰す
先スタートの50名ほどが並ばれるが↓のような猛者な方が、、、
後ですれ違う際に聞いたところ日頃からその姿で走られているらしい
太鼓の音とともに10時10分にスタート
最初はしばらく緩やかな登り
第二スタートの4番手でペースで登っていく
木々から溢れる木漏れ日がトラックを明るく照らし最高に気持ちが良い
3.5㎞ほど走り尾根にとりつく
ここから北上し、前スタートの走者を抜いていく
6.3㎞地点のファーストエイドも軽く見送り終始アップダウンの林道へ
道はしっかりしていて走りやすい
しばらく走り9.4㎞地点の第二エイドへ
ここもパスし、伊香立峠へ向かう
西側に降ると大原方面へ降りられるらしい
伊香立峠周辺は倒木が多く
道もそれぞれに派生し、一度道をロストする
すぐに正規ルートに戻り、伊香立峠へ
ここからは東に下り、折り返し車道の登りが続く
この登りが長かった、、、
走れる斜度ではあるので歩かずゆっくりでもランを継続する
さらに進むと一旦わき道に下り、第三エイドの滝寺へ
ここで水だけ補給する、ここまでで19.2㎞
折り返しさらに登る
この辺りで脚が重たくなってくる
先程の林道にでて、ここからはしばらく下り
この林道のアスファルト道はロードバイクでも走るコースでコースを熟知している
下りはかっ飛ばすようにスピードにのらす
第四エイドの桜広場も当然寄らず
そのまま下へ
第五エイド 距離22.3時地点から棚田の中をひたすら走る
この農道の約6キロが長かった、、、
景色は変わらず一直線の道であこまで走るのかとメンタルもやられかける
最後の3㎞、一度ウォーキング指定を越えるとラストスパートとばかりに最後にペースをあげる
スタート地点であった仰木会館がゴール地点
手持ちタイムで3時間6分42秒でフィニッシュ!
今回も出し切れた!!
リザルトはシングルに惜しくも届かず12位
ただあまり走り込めてない中でこの順位なので自分の中では伸びしろを実感
次は1月の生駒トレラン
ここではシングルリザルト目指してまた走り込んでいきたい!!
びわ湖バレイスカイラン バーティカル部門
令和2年11月14日土曜日
快晴
びわ湖バレイスカイラン
バーティカル部門に出走
距離は4.3㎞ながら獲得標高を一気に900m稼ぐレース
職場で参加者募るも誰も手をあげてくれず、単独参加
今シーズンはコロナの影響で全くロードレースがなく、モチベーションも上がらない中で「とりあえず」トレーニングを継続してきた
そんな中でロードシーズンも寂しく終わってしまい、トレランレースを検索してみるといつもお世話になっているアクトレップさんを中心、開催して頂いていることを知る
ランも走れてない中でとりあえずポチり、エントリーすることでモチベーションを上げていく
当然納得いくトレーニングをしていないので、楽しむことのみを考え、いざ当日
びわ湖バレイは家から30分で着くので9時に出ようとしたら長男がどうしても行きたいと、自分は子供に携帯も持たせてるし、頂上で長男が待っていると考えたら励みになるので、賛成だったが妻が反対
結果押し問答が15分ほど
長男がグズり、妻がひいてくれ、長男を乗せて9時15分に出発
会場に着き、10時過ぎのロープウェイに長男が乗るのを見届けて、いざスタート地点へ
スタートは年齢順に30秒ごとにTT形式でスタート
MCの方がスタート直前に氏名や出身をコールして盛り上げてくれる
テンションが上がり大変嬉しい
予定通り10時46分30秒にスタート
スタート後は一旦下ってから後は終始登り
石がゴロゴロしている林道を登っていく
すぐに歩いておられる前の走者を抜くがまだまだあるのになんて勝手に考えてしまう
つづら折り区間がずっと続く
心肺もすぐにLT値に達する
後はひたすら継続
快晴の天気で行楽シーズンのため他の一般ハイカーの方も多く入山されている
その都度ハァハァ言ってるおっさんが後ろから走って上がってくるので一般ハイカーの方には大変申し訳ない
コース上には+100m、+200mといった具合に獲得標高に応じてマーキングしてくれ、大変参考になる
走れない傾斜はないが、倒木や枝がたまにコース上に現る
+400mを越え、まだ半分も来てないのかと辛くなるが、踏ん張って走る
+700mぐらいになると視界が開け、眼下にびわ湖が綺麗に見え始める
またびわ湖バレイの山々が紅葉しており、めちゃくちゃ綺麗であぁ滋賀県民で良かったぁと思う
+800mを越え、後少し後少しと自分を奮い立たせる
直下の登りがキツすぎる、しかしゆっくりでも走りきることを目標にしたので腕を振り、脚を運ばせる
「ウー」とか「アー」とか言葉が勝手に出てくる
ほんと心拍マックス
ロープウェイ山頂駅のゴールが見える
歓声も聞こえる
最後のラストスパートで階段を駆け上がりゴールへ
リザルトは44分30秒
187人中26位
長男もすぐに駆けつけてくれ、買ってくれたスポーツドリンクを一気に飲む
久しぶりの達成感、いやぁやっぱレースは良い、自分の限界と挑戦出来、レースじゃないとこの感情は得られない、忘れてた感覚
コロナ感染に配慮して大会を開催して頂いた主催者の方々ありがとうございました
翌日曜日は仰木棚田トレイルランのため早々に会場を後にして回復に努めました。